平安貴族が「美」に敏感だったのは「美醜は前世の善悪の応報」という仏教思想と、当時の政治の仕組みの影響が大きい。平安時代は、娘を東宮やミカドに入内させ、生ませた皇子を皇位につけて、その後見役として「娘の父」が権力を握る「外戚政治」が行われていた。父の権力と一族の繁栄は「娘」にかかっていたのである。が、並み居る妃たちの中で一刻も早く娘に皇子を生ませるには、娘がミカドに寵愛されなくてはならない。てっとり早くいえばセックスしてもらわなければならない。そこで貴族の父親は、娘が生まれた瞬間から、全精力と財力をかけて娘を「男に愛される女」にすべく心血を注ぐことになる。『源氏物語』より数十年前にできた『宇津保物語』の男主人公は妻の妊娠を知ると、「女の子が生まれますように」と祈り、“生まるる子、かたちよく、心よくなる”という食べ物を、妊婦である妻に食べさせる。それも召使任せでなく、彼が“手づから”調理する。果たして女の子が誕生すると。「女の子を美しくするのは産湯しだいともいうから、よろしく頼むよ。お祝いもお礼もはずむから」と、産湯を担当する女房に頼む。
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