日本海三大古墳

2011.05.10

丹後には日本海三大古墳といわれる与謝野町の蛭子山古墳、京丹後市の網野銚子山古墳、神明山古墳など百五十〜二百メートルにも及ぶ巨大な前方後円墳があります。それはこの地が大陸への門戸となっていたために、巨大な古墳が築造されたといわれています。やがて、七世紀後半になると、隋唐の政治制度に倣った律令による支配が始まります。丹後でも国・郡(評)・里が設置され、租税の貢納が課せられていたことが藤原宮・平城宮跡の出土木簡に記されています。丹後国は、和銅六年(七一三)に、加佐・与佐(与謝)・丹波(旧中郡)・竹野・熊野の五郡が丹波国より分割されて成立。丹後国府は、宮津市府中地区にあったといわれています。六世紀後半には仏教が日本に伝わり、寺院の造営が始まりました。京丹後市網野町の俵野廃寺は、飛鳥時代後期と思われる丹後最古の寺院ですが、有力な古墳群のないこの地に、なぜ古代寺院が建立されたのかは大きな謎となっています。髭漆厨子は、奥行きよりも横幅の広い長方形の平面を持ち、高欄を備えた宮殿形が特徴ですヒノキ材で、彫刻部分は彩色仕上げ。その他は朱塗りや総黒漆塗りとするなど豪華で文厨子の各部に墨書が見つかっています。長徳寺(溝尻)の本尊阿弥陀如来像(市指定文化財)は、鎌倉時代の仏師快慶に始まる「安阿弥様」の阿弥陀像です。同様の仏像が仏性寺(宮津市金屋谷)、瑞光寺(舞鶴市)などにあり、瑞光寺の阿弥陀像はもとは府中の万福寺にあったことが分かっています。阿弥陀如来立像慈光寺(江尻)は明応二年のころ守護代延永氏が創建と伝え、その後、現在地に移りました。府中小学校上の台地に慈光寺跡があります。田原の龍燈寺は、天正十年に創建されたという曹洞宗の寺院です。鎌倉時代の薬師如来坐像(市指定文化財)や中世の十三仏板碑などから、もっと古い由緒があることがわかります。
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